引っ越し屋の妄想観察録・第六話 パワハラIT社長の引っ越し

オリジナル小説集

パワハラIT企業社長の引っ越し

引っ越し先は港区の高層マンションだった。
エントランスには英語表記の案内板、床はやたらと反射している。

「○○テクノロジーズの……社長さん、ですよね?」

管理人が少しだけ声を潜めて確認する。
男は軽くうなずいただけで、スマホから目を離さなかった。

相馬と田口は無言で台車を押す。
段ボールは少ないが、一つひとつが異様に重い。

「これ、全部書類っすかね」

田口が小声で言う。

相馬:「多分な。箱に『Confidential』って書いてある」

「機密感すごいっすね」

エレベーター待ちの間、男のスマホが鳴った。
一瞬、舌打ち。
そして、そのまま通話を始める。

「……だから言っただろ。それじゃ数字合わないって」

声は低いが、よく通る。
周囲を気にする様子はない。

「お前さ、何年やってんの?学生でもわかるぞ、そんなの」

田口が、段ボールを持ったまま動きを止めた。

相馬:「……」

「いや、言い訳いらない。結果だけ見てるから。
今日中に直せ。できないなら、代わり探す」

通話はまだ続く。

「俺が尻拭いしてる自覚ある?
あ? じゃあなんで同じミス三回目なんだよ」

一瞬、エレベーターの到着音が鳴る。
それでも男は話すのをやめない。

相馬は何も言わず、エレベーターの「開」ボタンを押し続けた。

「……はい? メンタル?
仕事舐めてんのか。会社は学校じゃないんだよ」

田口:「……」

エレベーターに乗り込んでも、通話は続く。
箱を置く音だけがやけに大きく響いた。

「今日中だからな。
できなかったら、明日話そう。――いや、“話”じゃないな」

通話が切れた。

男は何事もなかったようにスマホをポケットに入れ、
初めてこちらを見た。

「次、どれ運べばいい?」

相馬:「こちらの段ボールです」

「重いから気をつけて。中、全部重要な資料だから」

田口:「……了解です」

部屋に入ると、窓一面に東京湾が広がっていた。
家具はほとんどなく、ミニマルすぎる空間。

「引っ越し、意外と物少ないっすね」

田口がそう言うと、男は少しだけ笑った。

「物に執着しない主義なんで」

相馬はその言葉を聞きながら、
さっきの通話を思い出していた。

執着しないのは、物だけなのか。
それとも――。

田口が相馬をちらっと見る。
目が合う。

何も言わない。
でも、二人とも同じことを考えていた。

妄想開始

― 社長、ちょっとだけいい話 ―

トラックが動き出して三分。

田口:「……いや、さっきの電話、普通に怖くなかったっすか」

相馬:「俺、段ボール落とすかと思った」

田口:「“それで給料もらってる自覚ある?”は強すぎですって」

相馬:「録音されてたら即SNS行きだな」

田口:「有名IT企業の社長って、あんな感じなんですね」

相馬:「成功すると口調が課金制になるらしい」

田口:「課金制?」

相馬:「年商が上がるごとに語気が強くなる」

田口:「やだな、そのサブスク」

二人は笑った。

田口:「でも、部屋めちゃくちゃシンプルでしたよね」

相馬:「ミニマリストというか、生活してない」

田口:「ベッド、デスク、ノートPC。以上」

相馬:「冷蔵庫の中も水とプロテインだけだった」

田口:「人間、効率化しすぎるとそうなるんすね」

相馬:「感情まで削減される」

田口:「で、その結果がさっきの電話」

相馬:「あれは感情というより、コマンド入力」

田口:「部下が人じゃなくてタスク扱い」

相馬:「“実行しろ。今すぐ”」

田口:「ラスボス感ありました」

大事なもの

新居に到着する。
タワーマンションの高層階。

田口:「うわ、眺めすご」

相馬:「怒鳴り声、反響しそうだな」

搬入が始まる。

「デスクは窓側で」
「PC周りはこっち」
「その箱は最後で」

社長の指示は的確で、無駄がない。

田口:「……仕事できる人の動線ですね」

相馬:「無駄な動きが一切ない」

最後の段ボールを運び終えたときだった。

田口:「あ、これ……」

相馬:「ん?」

一番小さな箱の底。
厚紙に包まれた、大きな写真立て。

相馬が慎重に持ち上げる。

社長:「あ、それ」

社長は一瞬だけ、声のトーンを落とした。

社長:「それは一番の宝物だから、絶対に壊さないでくれ」

田口:「……宝物?」

包みを少しだけずらすと、
そこには会社の全社員集合写真があった。

スーツ姿、私服、変顔。
年齢もバラバラ。

社長:「うちの会社の社員旅行の写真だ。俺の宝物だ」

田口と相馬は顔を見合わせる。

社長:「社員は俺の家族みたいなもんだ」

相馬:「……」

社長:「社長として、全員の生活を守らなきゃいけない」

田口:「……だから、あの言い方なんすか」

社長:「正直、優しく言ってる余裕はない」

社長:「業績落ちたら、真っ先に困るのは社員だからな」

少し照れたように、社長は笑った。

社長:「嫌われ役は、俺がやる。それが仕事だろ」

写真を、そっと棚の一番上に置く。

仕事後の帰り道

田口:「……さっきの妄想、全部撤回で」

相馬:「同意」

田口:「ただのパワハラ社長だと思ってました」

相馬:「俺も」

田口:「まさか社員写真が一番大事とは」

相馬:「ギャップ強すぎだろ」

帰りのエレベーター。

田口:「言い方って大事っすね」

相馬:「まあな」

田口:「でも、守りたいものがある人は、
たまに言葉が不器用になるんすね」

相馬:「不器用で済んでるうちは、まだ人間だ」

トラックに乗り込む。

田口:「次、誰来ても決めつけないようにします」

相馬:「どうせまた妄想するだろ」

田口:「しますけど」

相馬:「学習はしてるから良し」

二人は笑った。

人は、
怒鳴り声だけでは測れない。

たまに、
一番大事なものは、
一番最後の箱に入っている。

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