第4話 最後の一口

オリジナル小説集
このエントリは 4の11の部分 シリーズに 25回目の結婚生活

夕飯の食卓に、湯気が立ちのぼる。
焼き魚に、唐揚げに、ポテトサラダ。そして美咲の得意料理、肉じゃが。
どれも大皿に盛られて、テーブルの中央を彩っていた。

「今日も美味しそうだね、美咲」
「えへへ、今日はちょっと頑張っちゃった!」

ふたり並んで箸を伸ばす。
大皿から自分の分を少しずつ取り、白ご飯を頬張る。
どの料理も絶妙な加減で、誠はつい箸が止まらなかった。
美咲はお世辞抜きで料理がうまい。

しかし――問題はその時、必ず訪れる。

肉じゃがのじゃがいもが、一切れ残る。
ポテトサラダの山が、スプーン一杯分だけ残る。
唐揚げが一つ、ぽつんと取り残される。

(……きたか)

誠は心の中でゴクリと唾を飲んだ。
これが「最後の一口問題」だ。

(さて……最後の一口をどうするか)

「最後の一口――通称“ラスイチ”は、家庭の平和を脅かす危険な存在だ」
帽子を傾け、肉じゃがを凝視する。

「食べれば“気が利かない”と咎められる可能性。残せば“せっかく作ったのに食べない”と叱られるリスク。……両者は表裏一体」

冷蔵庫にプリンが一個残っていた夜と同じ。
誠の胃はすでに戦々恐々である。

——————

誠の頭の中で、推理モードが始まる。

妄想の中、トレンチコートを翻した“名探偵・誠”が静かに立ち上がった。

「事件概要――連続ラスイチ事件」

帽子を目深にかぶる。

「被害物件は三点」

「第一の現場。肉じゃがのじゃがいも、一切れ
第二の現場。ポテトサラダ、スプーン一杯分
そして第三の現場――唐揚げ、一個」

テーブル中央を睨む。

「これは偶然ではない。計画的犯行だ」

帽子を深くかぶり直す。

「まず状況整理だ」

名探偵はテーブルを観察する。

・美咲、現在の満腹度:七割前後(白ご飯おかわりなし)
・笑顔指数:高(頬の緩み角度、約15度)
・肉じゃが消費量:じゃがいも二切れ、にんじん一、しらたき適量
・ポテトサラダ摂取量:山の三分の二
・唐揚げ消費量:三個
・視線の動き:料理全体を均等巡回、特定物への執着なし

「ふむ……」

顎に手を当てる。

「過去事例、参照」
名探偵誠は脳内資料庫からファイルを取り出す。

・第二夫人 妻の実家での夕食事件
すき焼きの最後の一切れの肉を、誠は「まあ誰も食べないだろう」と思って口に入れた。

「まあ……遠慮って知らないのね」

義母の冷たい一言。
その場の空気が凍り付いた。

•第三夫人 譲歩事件
彼女がちらちらと皿の唐揚げを見ていたのに気づかず、誠は気前よく「どうぞ」と譲ってしまった。
すると、なぜかむくれる妻。

「普通さぁ……“一緒に半分こしよ”とか言えないの?」

•第五夫人 手作り焼売事件
誠は学習した。ラスイチには手を出さない。
皿の上にぽつんと残った手作りシューマイ。
「どうぞ」とも言わず、食べもせず。

すると妻が苛立った顔で言った。
「なんで食べないの? 私が作ったの、美味しくなかったってこと?前の冷凍焼売は全部食べたくせに」

その夜、誠は布団を廊下に追いやられた。

•第十七夫人 ラップ事件
誠は「残せば丸く収まる」と考えた。
明日食べると言い、ラップをして冷蔵庫に保管する。
結果、ラップされて冷蔵庫に入れられた“ラスイチ”たちは翌日以降食べられることはなく忘れられていく。

「あなたってほんと、中途半端なのね」
妻の冷えた声が突き刺さる。

・二十二夫人 事前分配事件
過去の経験を活かして、ラスイチを回避すべく先手を打った。

1人ずつ小皿に分けてくれと。
そうすれば自分の量は決まっている。
ラスイチ問題は回避できると思った。

しかし…

「分けると手間が増えるでしょ。後で洗う食器だって増えるし。自分で作らないのに文句言わないで!」

と食卓に至る前から逆鱗に触れてしまった。

すべて有罪……つまりラスイチとは――

選択そのものが罪

それらのデータを基に誠の脳内会議が開かれる。

「ケースA:残す」
→ 美咲が「どうして食べないの?」と不満に思う可能性。

「ケースB:食べる」
→ 美咲が「えっ、私の分だったのに!」とショックを受けるリスク。

「ケースC:分ける」
→ 唐揚げを半分こ? 肉じゃがの一切れを崩す? いや、見栄えが悪いし、行儀悪い。

「ケースD:聞く」
→ 『食べていい?』と聞く。しかしそれは“気が利かない男”の烙印を押されかねない。

(……詰んだ……)

額から汗がにじむ。唐揚げのラスイチが、まるで爆弾のようにテーブルの真ん中で時を刻んでいる。

美咲の一言

「……あ、誠さん」
「ひゃいっ!」
「唐揚げ、最後の一個だよ。食べちゃいなよ」
「えっ……」
「だって、誠さんが美味しそうに食べてるの見るの、好きなんだよ」

あまりに自然な笑顔。
誠の推理脳が、一瞬で崩壊した。

「……本当にいいの?」
「もちろん。私、お腹いっぱいだし。それに、誠さんに食べてもらったほうが嬉しい」

誠は箸を伸ばし、ラスイチを口に運んだ。
カリッとした衣の奥から、じゅわっと肉汁が広がる。
胸の奥まで温かさが染み渡った。

(……この人となら、ラスイチも怖くないんだ)

食器を片付けながら、美咲がにこにこと言った。
「ねえ誠さん、明日は餃子作ろうと思うんだ」
「いいね。楽しみだな」
「でも餃子って、絶対最後の一個が残るんだよね~」

「……」

誠の脳内で、トレンチコートが再び翻った。

連続ラスイチ事件、第二章が始まる予感。
果たして明日の餃子は偶数か?奇数か?

名探偵は、まだ引退できない。

25回目の結婚生活

第5話 朝食に潜む悪魔 第3話 幸せの温度

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