夕飯の食卓に、湯気が立ちのぼる。
焼き魚に、唐揚げに、ポテトサラダ。そして美咲の得意料理、肉じゃが。
どれも大皿に盛られて、テーブルの中央を彩っていた。
「今日も美味しそうだね、美咲」
「えへへ、今日はちょっと頑張っちゃった!」
ふたり並んで箸を伸ばす。
大皿から自分の分を少しずつ取り、白ご飯を頬張る。
どの料理も絶妙な加減で、誠はつい箸が止まらなかった。
美咲はお世辞抜きで料理がうまい。
しかし――問題はその時、必ず訪れる。
肉じゃがのじゃがいもが、一切れ残る。
ポテトサラダの山が、スプーン一杯分だけ残る。
唐揚げが一つ、ぽつんと取り残される。
(……きたか)
誠は心の中でゴクリと唾を飲んだ。
これが「最後の一口問題」だ。
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(さて……最後の一口をどうするか)
「最後の一口――通称“ラスイチ”は、家庭の平和を脅かす危険な存在だ」
帽子を傾け、肉じゃがを凝視する。
「食べれば“気が利かない”と咎められる可能性。残せば“せっかく作ったのに食べない”と叱られるリスク。……両者は表裏一体」
冷蔵庫にプリンが一個残っていた夜と同じ。
誠の胃はすでに戦々恐々である。
——————
誠の頭の中で、推理モードが始まる。
妄想の中、トレンチコートを翻した“名探偵・誠”が静かに立ち上がった。
「事件概要――連続ラスイチ事件」
帽子を目深にかぶる。
「被害物件は三点」
「第一の現場。肉じゃがのじゃがいも、一切れ
第二の現場。ポテトサラダ、スプーン一杯分
そして第三の現場――唐揚げ、一個」
テーブル中央を睨む。
「これは偶然ではない。計画的犯行だ」
帽子を深くかぶり直す。
「まず状況整理だ」
名探偵はテーブルを観察する。
・美咲、現在の満腹度:七割前後(白ご飯おかわりなし)
・笑顔指数:高(頬の緩み角度、約15度)
・肉じゃが消費量:じゃがいも二切れ、にんじん一、しらたき適量
・ポテトサラダ摂取量:山の三分の二
・唐揚げ消費量:三個
・視線の動き:料理全体を均等巡回、特定物への執着なし
「ふむ……」
顎に手を当てる。
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「過去事例、参照」
名探偵誠は脳内資料庫からファイルを取り出す。
・第二夫人 妻の実家での夕食事件
すき焼きの最後の一切れの肉を、誠は「まあ誰も食べないだろう」と思って口に入れた。
「まあ……遠慮って知らないのね」
義母の冷たい一言。
その場の空気が凍り付いた。
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•第三夫人 譲歩事件
彼女がちらちらと皿の唐揚げを見ていたのに気づかず、誠は気前よく「どうぞ」と譲ってしまった。
すると、なぜかむくれる妻。
「普通さぁ……“一緒に半分こしよ”とか言えないの?」
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•第五夫人 手作り焼売事件
誠は学習した。ラスイチには手を出さない。
皿の上にぽつんと残った手作りシューマイ。
「どうぞ」とも言わず、食べもせず。
すると妻が苛立った顔で言った。
「なんで食べないの? 私が作ったの、美味しくなかったってこと?前の冷凍焼売は全部食べたくせに」
その夜、誠は布団を廊下に追いやられた。
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•第十七夫人 ラップ事件
誠は「残せば丸く収まる」と考えた。
明日食べると言い、ラップをして冷蔵庫に保管する。
結果、ラップされて冷蔵庫に入れられた“ラスイチ”たちは翌日以降食べられることはなく忘れられていく。
「あなたってほんと、中途半端なのね」
妻の冷えた声が突き刺さる。
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・二十二夫人 事前分配事件
過去の経験を活かして、ラスイチを回避すべく先手を打った。
1人ずつ小皿に分けてくれと。
そうすれば自分の量は決まっている。
ラスイチ問題は回避できると思った。
しかし…
「分けると手間が増えるでしょ。後で洗う食器だって増えるし。自分で作らないのに文句言わないで!」
と食卓に至る前から逆鱗に触れてしまった。
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すべて有罪……つまりラスイチとは――
選択そのものが罪
それらのデータを基に誠の脳内会議が開かれる。
「ケースA:残す」
→ 美咲が「どうして食べないの?」と不満に思う可能性。
「ケースB:食べる」
→ 美咲が「えっ、私の分だったのに!」とショックを受けるリスク。
「ケースC:分ける」
→ 唐揚げを半分こ? 肉じゃがの一切れを崩す? いや、見栄えが悪いし、行儀悪い。
「ケースD:聞く」
→ 『食べていい?』と聞く。しかしそれは“気が利かない男”の烙印を押されかねない。
(……詰んだ……)
額から汗がにじむ。唐揚げのラスイチが、まるで爆弾のようにテーブルの真ん中で時を刻んでいる。
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美咲の一言
「……あ、誠さん」
「ひゃいっ!」
「唐揚げ、最後の一個だよ。食べちゃいなよ」
「えっ……」
「だって、誠さんが美味しそうに食べてるの見るの、好きなんだよ」
あまりに自然な笑顔。
誠の推理脳が、一瞬で崩壊した。
「……本当にいいの?」
「もちろん。私、お腹いっぱいだし。それに、誠さんに食べてもらったほうが嬉しい」
誠は箸を伸ばし、ラスイチを口に運んだ。
カリッとした衣の奥から、じゅわっと肉汁が広がる。
胸の奥まで温かさが染み渡った。
(……この人となら、ラスイチも怖くないんだ)
⸻
食器を片付けながら、美咲がにこにこと言った。
「ねえ誠さん、明日は餃子作ろうと思うんだ」
「いいね。楽しみだな」
「でも餃子って、絶対最後の一個が残るんだよね~」
「……」
誠の脳内で、トレンチコートが再び翻った。
連続ラスイチ事件、第二章が始まる予感。
果たして明日の餃子は偶数か?奇数か?
名探偵は、まだ引退できない。


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