― 再生数は、引っ越し前に置いていく ―
朝九時。
今日の現場は、駅から少し離れた古めのアパートだった。
外壁は色褪せ、共用廊下には自転車が無造作に並んでいる。
築年数は、たぶん二十年以上。
「……ここっすか?」
田口が、メモと建物を見比べる。
「ああ。ここだ」
相馬はトラックを停め、エンジンを切った。
今日の依頼は単身。
ワンルームからの引っ越しで、搬出のみ。
引っ越し先は――高層マンション。
この時点で、少しだけ匂うものがあった。
階段を上がり、二階の角部屋。
インターホンを押すと、間を置かずにドアが開いた。
「おはようございます!」
明るい声。
二十代後半くらいの男性。
パーカーにスウェット、足元はサンダル。
一見すると、どこにでもいそうな若者だ。
――が。
田口が一瞬、動きを止めた。
「……あれ?」
「どうした」
「いや……この人……」
男性は気づいた様子もなく、にこやかに頭を下げる。
「今日はよろしくお願いします!」
部屋に入った瞬間、空気が変わった。
ワンルーム、六畳ほど。
だが生活感より先に目に飛び込んでくるものがある。
照明スタンド。
三脚。
マイク。
ケーブルの束。
デスクの上にはノートパソコンと外付けモニター。
壁際にはカメラが二台。
「……多いっすね」
田口が小声で言う。
「仕事道具だな」
相馬は淡々と返した。
棚にはフィギュアやゲーム機。
一見、趣味全開の部屋。
だが配置が妙に整っている。
コードはまとめられ、床に物は落ちていない。
壁には付箋がびっしり貼られていた。
「これも全部、運びます」
男性が指差す。
段ボールにはマジックで書かれている。
【撮影機材】
【編集用】
【動画ストック】
「……動画?」
田口が思わず聞いた。
「あ、はい。YouTubeやってて」
軽い口調。説明というより報告に近い。
田口はもう一度、男性の顔を見る。
派手ではないが、どこか見覚えがある。
「……あの」
少し距離を詰める。
「もしかして……動画、出てます?」
男性は一瞬だけ間を置いて、苦笑した。
「あー……たまに、ですね」
その言い方が、妙に慣れていた。
クローゼットの中は服でいっぱいだった。
だが高そうなものは少なく、動きやすそうな服ばかり。
「衣装ですか?」
「いや、普段着です。撮影でも使うんで」
ベッド横にはエナジードリンクの空き缶。
まとめて袋に入れられている。
机の引き出しからは、ノートが何冊も出てきた。
動画構成らしきメモ。
相馬は何も言わず、それらを段ボールに収める。
作業は順調に進んだ。
荷物は多いが、無駄がない。
最後に残ったのは、デスクと機材一式。
「それ、最後でお願いします」
男性は部屋を見回した。
「ここ、最初に一人で始めた場所なんで」
少しだけ声のトーンが下がる。
「次は……いいところなんですか」
相馬が聞くと、男性は笑った。
「ええ。高いところです」
それ以上は語らない。
搬出が終わり、トラックに積み込む。
「じゃあ、新居でお待ちください」
「はい! 気をつけて!」
ドアが閉まる。
トラックに戻ると、田口が言った。
「……やっぱり見たことあります」
「ほう」
「おすすめに流れてきた人だと思うんすよ」
相馬はエンジンをかける。
「なるほどな」
ワンルームから、高層マンション。
楽しそうで、楽して稼いでいる。
――そんなイメージが浮かぶ。
だが、それを口にするのはまだ早い。
妄想は、トラックが走り出してからだ。
トラックが走り出して三分。
「……絶対YouTuberっすよね」
「まあ、ほぼ確定だな」
「しかも今、波に乗ってるタイプ」
「ワンルームから高層マンションだしな」
「夢ありますよねぇ。好きなことして、動画撮って、金入ってくるやつ」
「楽そうだよな」
「編集とか言っても、切って貼るだけでしょ?」
「テンプレ使って、BGM乗せて」
「昼まで寝て、夜はゲーム」
「撮影は週に二日」
「残りは自由時間」
二人は同時に、ため息をついた。
「コメント欄見てニヤニヤしてそう」
「アンチは即ブロック」
「『気にしない』って言いながら、めっちゃ気にする」
「再生数落ちたら情緒不安定」
「数字に人生握られてる」
高速に乗り、街が遠ざかる。
「でも、さっきの部屋……」
「ん?」
「楽してる人の部屋じゃなかったっすよね」
「ああ」
「付箋、異常な数でした」
「動画構成、企画、反省点」
「しかも全部手書き」
「エナジードリンクの量もな」
「徹夜常習犯っす」
少し間が空く。
「あの人、編集一人だな」
「外注してない」
「金より時間かけてる」
「……楽じゃないっすね」
「全然」
高層マンションが見えてきた。
「すげぇ……」
部屋は高層階。
窓から街が小さく見える。
だが中は意外と質素だった。
家具は最小限。
最初に配置されたのは撮影機材。
「そこ、電源多いんで助かります」
「机は窓際で」
迷いのない指示。
新しい家具より先に、機材の居場所を決めている。
最後に男性が、自分で段ボールを一つ開けた。
中から出てきたのはノート。
表紙には年号。
「それは……?」
「最初の一年分です」
「全然伸びなかった頃の」
沈黙。
作業終了。
「ありがとうございました」
深く頭を下げる。
「ここまで来るのに時間かかりました」
「でも、まだ途中なんで」
その目は、浮かれていなかった。
トラックに戻る。
「……偏見、ひどかったっすね」
「ああ」
「楽して稼いでるとか」
「実際は、誰より働いてた」
「数字に追われて、寝不足で」
「それでも、やめない」
「……すげぇな」
「好きなことを仕事にしてる人間ほど、楽じゃない」
エンジンをかける。
「YouTuber、ちょっと尊敬しました」
「俺もだ」
高層マンションがバックミラーから消える。
人生は段ボールに詰まっている。
だが本当に重いのは、目に見えない努力だ。
再生数の裏側には、
今日も誰かの徹夜が積み重なっている。
※これは相馬と田口の妄想であり、
すべてのYouTuberに当てはまるわけではありません。

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