引っ越し屋の妄想観察録・第五話 売れないミュージシャンの引っ越し

オリジナル小説集

第5話:売れないミュージシャン編

― アンプの置き場所 ―

 引っ越し先は、横浜と川崎のちょうど境目にある古いアパートだった。
 駅から歩いて十五分。途中にコンビニは一軒だけ。夜になると、人通りはほとんどなくなる。

「静かですね」

 田口がそう言いながら、アパートの外階段を見上げた。塗装は剥げ、ところどころ錆が浮いている。築年数を聞かなくても、だいたい察しはついた。

「音、出しても怒られなさそうだな」

 相馬が冗談めかして言う。
 今日の依頼人は三十代半ばの男性。一人暮らし。荷物は少ないと事前に聞いていた。

 部屋は二階の角。ワンルームで、六畳と少し。
 玄関を開けた瞬間、まず目に入ったのは黒いソフトケースだった。

「あ」

 二人同時に声が出た。

 壁際に立てかけられたギターケース。一本ではない。奥にももう一つ、同じようなケースが並んでいる。ケースの角は擦れていて、新品には見えなかった。

「音楽やってるんですね」

 田口が言うと、依頼人の男性は少しだけ照れたように笑った。

「まあ、一応」

 その「一応」が、妙に引っかかった。

 部屋の中央にはシングルベッド。フレームは安物で、きしみやすそうだ。
 小さな机と、折り畳み椅子。カラーボックスが一つ。中身は半分以上空いている。

 生活感はあるのに、物が少ない。

「アンプ、これもお願いします」

 男性が指差したのは、テレビ台の代わりに使っている箱の上に置かれた小型アンプだった。
 埃はついていない。よく使っているのだろう。

 相馬が持ち上げると、意外と軽かった。

「ライブ用って感じじゃないですね」

「ですね。家練用かな」

 田口が言うと、男性は頷いた。

「大きいのはもう……持ってなくて」

 また、言い切らない言い方だった。

 壁には画鋲の跡がいくつも残っている。何か貼っていたのだろう。
 床にまとめられた紙袋の中には、色褪せたライブハウスのポスターが何枚も入っていた。

「これも運びます?」

「お願いします」

 ポスター

の一番上に、男性の顔写真が載っていた。
 今より少し若く見える。

「CDもありますよ」

 カラーボックスの奥から、小さな段ボールが出てきた。
 中には未開封のCDがぎっしり詰まっている。

 相馬は何も言わず、箱を閉じた。

 作業は予定より早く進んだ。
 荷物が少ない引っ越しは、いつもこんなものだ。

 最後に残ったのは、アンプとギターケースだけだった。

「それ、最後でいいです」

 男性はそう言って、部屋を一度見回した。
 何かを確認するように、少しだけ時間を置いてから、またこちらを向く。

「お願いします」

 相馬と田口は顔を見合わせ、無言で頷いた。

 ギターケースを運び出すとき、相馬はふと、
 「この人、何を置いていくんだろうな」
 そんなことを考えてしまった。

 まだ、何も決めつける材料は揃っていない。
 それでも、部屋に残った空気だけが、少し重かった。

― 夢は、まだ処分できない ―

 トラックが走り出して五分。
 信号待ちの間、田口がフロントガラス越しに空を見たまま言った。

田口:「……売れないミュージシャンっすよね」

相馬:「言うと思った」

田口:「いや、だって条件そろいすぎじゃないですか。ギター二本、家用アンプ、未開封CDの山」

相馬:「うん」

田口:「しかも『一応やってます』の言い方」

 相馬は小さく息を吐いた。

相馬:「“一応”って言葉、重いよな」

田口:「重いっす。売れてない自覚と、やめきれなさが混ざってるやつ」

相馬:「やめたら負けだと思ってるタイプ」

田口:「そうそう。たぶん——」

 田口が身を乗り出す。

田口:「バイト終わりにスタジオ入るタイプっすよね」

相馬:「あー、わかる」

田口:「深夜パックで三時間。帰りは始発」

相馬:「で、SNSに『今日も音に向き合った』とか書く」

田口:「書く書く。ハッシュタグ多めで」

相馬:「#音楽が好き #夢は終わらない #売れたいとは言ってない」

田口:「それ、売れたい人の書き方っす」

 二人は声を出さずに笑った。

相馬:「スマホの待ち受けも、だいたい想像つくな」

田口:「ライブ写真?」

相馬:「そう。演奏中の自分が一番かっこいいと思ってる写真。もしくはギターだけ映してるか」

田口:「友達にもそういう奴いました……」

 田口が頷きすぎて首を痛めそうだった。

田口:「で、未開封のCD」

相馬:「うん?」

田口:「あれ絶対、元カノに贈ろうと作った曲」

相馬:「やめろ」

田口:「『よかったら聴いて』って渡して、感想来ないやつ」

相馬:「LINE既読スルー」

田口:「次の曲はもっと良くなるって言い訳してる」

相馬:「現状を直視しないタイプだな」

田口:「でも捨てられない」

相馬:「そう。夢はまだ使えると思ってる」

 トラックがカーブを曲がる。
 ギターケースが、荷台で小さく揺れた。

 少し間が空いて、相馬が言う。

相馬:「……でもさ」

田口:「はい?」

相馬:「あのアンプ、埃なかったな」

田口:「……確かに」

相馬:「毎日触ってる手つきだった」

田口:「触ってるだけじゃないっすよ。使ってますよ、あれ」

相馬:「売れないけど、やってる。諦めずに」

田口:「逃げてはないですね」

 田口は黙ったまま、前を見ていた。

相馬:「たぶんさ」

相馬:「この人、音楽で食えてない自分を、ちゃんと自覚してる」

田口:「……」

相馬:「その上で、まだやってる」

田口:「それ、結構きついっすよね」

相馬:「ああ」

田口:「でも、最高にかっこいいなって思う。」

相馬:「売れてないのにですか?」

田口:「あぁ。きっとあの人は自分のやりたいことを貫きたいんだと思う。きっと大好きな音楽を諦めた人生では、どんなに成功しても死ぬときに悔いが残るとわかっているんだ。だから悔いのないように、自分の納得するまで追いかけているんだ」

相馬:「確かにそうかもしれませんね。そう思っても続けることも、夢に向かうこともできない人が多いですもんね」

2人はしばらく沈黙した。

 引っ越し先に到着した。
 前より少し新しいアパート。駅にも近い。

 搬入は静かに進んだ。
 男性は一つ一つ、置き場所をはっきり指定する。

「ギターは、そこに立ててください」
「アンプは、窓際で」

 迷いがない。

 最後の箱を運び終えたとき、男性が言った。

「ありがとうございました」

 仕事を終えた2人は新居を後にする。

田口:「頑張ってほしいですね」

相馬:「ああ」

田口:「売れない=ダメじゃないっすね」

相馬:「むしろ、ちゃんと生きてた」

 相馬はエンジンをかけながら言う。

相馬:「夢を続けてる人って、だいたい礼儀正しくて、物を大事にする」

田口:「……さっきの妄想、全部取り消したいっす」

相馬:「いや、反省材料として保存だな」

 二人は苦笑いした。

 人生は、段ボールに詰まっている。
 でも、ラベルだけ見て中身を決めつけると、だいたい外れる。

 ギターケースは、今日もどこかで開かれる。
 たとえ客席がゼロでも。

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