夕飯の後、食卓は散らかったまま、重苦しい空気が残った。
京子は台所に引っ込んで片付けを始め、和夫は新聞を広げる。
誠は居心地悪く、畳の目を数えるしかなかった。
(……完全に嫌われたな)
胃の奥がきゅうっと縮む。
その夜、客間に布団が敷かれる。美咲が隣に座り、誠の手をぎゅっと握った。
「誠さん……ごめんね」
「美咲が謝ることじゃないよ」
「でも、私のせいで辛い思いしてる」
「いいんだ。24回も離婚した自分が悪いんだから……それに守ってくれて嬉しかった。俺、あんなふうに庇われたこと、今までなかったから」
美咲の目が潤む。
「私、絶対に味方だから」
「ありがとう……」
だが、眠れなかった。過去の黒歴史が頭をよぎる。
(また失敗して、美咲まで不幸にしたら……)
布団の中で、誠は何度も寝返りを打った。
⸻
しばらくして、美咲の寝息が小さく整っていく。
誠は天井を見つめたまま、眠れずにいた。
――その時。
障子が、
“コツ……コツ……”
控えめなのに、やけに響く音。
「……まだ起きてるか」
低い声。
和夫だった。
心臓が一拍、跳ねる。
誠の全身が固まる。
「は、はい!」
声が裏返る。自分でも情けない。
障子を開けると、廊下の向こうに和夫が立っていた。
逆光で表情は見えない。
「ちょっと外に出るか」
断れない声音だった。
「……はい」
⸻
縁側に出ると、夜風がひんやりしている。
虫の声だけがやけに大きい。
和夫は浴衣姿で煙草に火をつけた。
火が一瞬、顔を照らす。
「散歩でもするか」
誠は一瞬迷う。
断ったらどうなるのか、想像してやめた。
「……はい!」
⸻
庭を抜ける。
砂利の音がやけに響く。
並んで歩いているのに、距離が遠い。
月明かりだけが、二人を照らしていた。
沈黙が、重い。
(これは、説教か……最終通告か……)
「……バツ24………か」
不意に和夫が切り出した。
「……はい」
「普通なら、一回でも充分だ」
「……おっしゃる通りです」
誠は汗を拭った。
「どうしてそんなに失敗してきた」
「……」
誠は口を開きかけて、閉じた。だが逃げられない。
「俺は……いつも、気を遣いすぎて失敗するんです」
「気を遣いすぎて?」
「相手に“正解の自分”を出そうとして……」
苦笑する。
「気づけば、いつも“本当の自分”がいなくなる」
「相手の実家では靴下の穴を気にしすぎて新品を揃えたり……お雑煮で逃げ場がなくなったり……お土産で空回りしたり……。相手の家に合わせようとするほど、ボロが出てしまって」
苦笑が漏れた。
「情けない話ですけど」
和夫は煙を吐き、しばし沈黙した。
「……で、失敗して、離婚してきたわけか」
「はい。でも……美咲とだけは違う気がするんです」
「何が違う」
誠は立ち止まり、真剣な目で和夫を見た。
「彼女は、俺が失敗しても笑ってくれるんです。守ろうとしたのに失敗しても、『誠さんらしい』って。俺を馬鹿にするんじゃなく、ありのままの俺を支えてくれる。……初めてなんです。24回失敗してきたからこそ、より美咲の良さが分かるんです」
和夫は足を止め、夜空を見上げた。
「……美咲はな、昔から人を信じすぎる子だ。優しすぎて、損するんじゃないかと心配でならなかった」
「……」
「だから、バツ24の男と結婚すると聞いた時は……正直、腹が立った。娘をなんだと思ってるんだ、ってな」
誠は頭を下げた。
「本当にすみません」
和夫はふっと笑った。
「だがな……さっきの夕飯で、美咲があれほど声を荒げたのを初めて見た。親に逆らってまで本気で人を守ろうとする姿を」
「……」
「お前にしか見せられない顔なんだろうな」
和夫は煙草をもみ消し、誠の肩を軽く叩いた。
「バツ24なんざ、こっちからすれば笑い話だ。だがな――25回目を娘にやらせるような真似は許さん」
夜気がひやりとする。
「……絶対にさせません」
誠は即答した。
「言ったな」
「はい。……何度でも言います。彼女とだけは、離れません」
和夫はしばらく誠を見つめ、やがて口の端を上げた。
「……まあ、せいぜい頑張れ。今度失敗したら、靴下の穴を気にするどころじゃ済まさんぞ」
「は、はいっ!」
二人の間に、かすかな笑いが生まれた。
翌朝
朝食の席。
食卓には味噌汁の湯気が立っていた。
和夫は新聞を畳み、何気なく言った。
「誠くん、納豆食べられるか」
「えっ……は、はい! 大好きです!」
「無理に合わせてないか?」
「はい!本当です」
一瞬、昨夜の月明かりがよぎる。
もう、正解を探さない。
誠と和夫はふっと笑った。
そんな2人をみて美咲は少し首をかしげた。
京子は黙って味噌汁をよそい、誠の茶碗にそっと置いた。
「……ありがとうございます」
美咲がにっこり笑う。
(少しだけ、空気が変わった……)
誠は胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。


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