パワハラIT企業社長の引っ越し
引っ越し先は港区の高層マンションだった。
エントランスには英語表記の案内板、床はやたらと反射している。
「○○テクノロジーズの……社長さん、ですよね?」
管理人が少しだけ声を潜めて確認する。
男は軽くうなずいただけで、スマホから目を離さなかった。
相馬と田口は無言で台車を押す。
段ボールは少ないが、一つひとつが異様に重い。
「これ、全部書類っすかね」
田口が小声で言う。
相馬:「多分な。箱に『Confidential』って書いてある」
「機密感すごいっすね」
エレベーター待ちの間、男のスマホが鳴った。
一瞬、舌打ち。
そして、そのまま通話を始める。
「……だから言っただろ。それじゃ数字合わないって」
声は低いが、よく通る。
周囲を気にする様子はない。
「お前さ、何年やってんの?学生でもわかるぞ、そんなの」
田口が、段ボールを持ったまま動きを止めた。
相馬:「……」
「いや、言い訳いらない。結果だけ見てるから。
今日中に直せ。できないなら、代わり探す」
通話はまだ続く。
「俺が尻拭いしてる自覚ある?
あ? じゃあなんで同じミス三回目なんだよ」
一瞬、エレベーターの到着音が鳴る。
それでも男は話すのをやめない。
相馬は何も言わず、エレベーターの「開」ボタンを押し続けた。
「……はい? メンタル?
仕事舐めてんのか。会社は学校じゃないんだよ」
田口:「……」
エレベーターに乗り込んでも、通話は続く。
箱を置く音だけがやけに大きく響いた。
「今日中だからな。
できなかったら、明日話そう。――いや、“話”じゃないな」
通話が切れた。
男は何事もなかったようにスマホをポケットに入れ、
初めてこちらを見た。
「次、どれ運べばいい?」
相馬:「こちらの段ボールです」
「重いから気をつけて。中、全部重要な資料だから」
田口:「……了解です」
部屋に入ると、窓一面に東京湾が広がっていた。
家具はほとんどなく、ミニマルすぎる空間。
「引っ越し、意外と物少ないっすね」
田口がそう言うと、男は少しだけ笑った。
「物に執着しない主義なんで」
相馬はその言葉を聞きながら、
さっきの通話を思い出していた。
執着しないのは、物だけなのか。
それとも――。
田口が相馬をちらっと見る。
目が合う。
何も言わない。
でも、二人とも同じことを考えていた。
妄想開始
― 社長、ちょっとだけいい話 ―
トラックが動き出して三分。
田口:「……いや、さっきの電話、普通に怖くなかったっすか」
相馬:「俺、段ボール落とすかと思った」
田口:「“それで給料もらってる自覚ある?”は強すぎですって」
相馬:「録音されてたら即SNS行きだな」
田口:「有名IT企業の社長って、あんな感じなんですね」
相馬:「成功すると口調が課金制になるらしい」
田口:「課金制?」
相馬:「年商が上がるごとに語気が強くなる」
田口:「やだな、そのサブスク」
二人は笑った。
田口:「でも、部屋めちゃくちゃシンプルでしたよね」
相馬:「ミニマリストというか、生活してない」
田口:「ベッド、デスク、ノートPC。以上」
相馬:「冷蔵庫の中も水とプロテインだけだった」
田口:「人間、効率化しすぎるとそうなるんすね」
相馬:「感情まで削減される」
田口:「で、その結果がさっきの電話」
相馬:「あれは感情というより、コマンド入力」
田口:「部下が人じゃなくてタスク扱い」
相馬:「“実行しろ。今すぐ”」
田口:「ラスボス感ありました」
大事なもの
新居に到着する。
タワーマンションの高層階。
田口:「うわ、眺めすご」
相馬:「怒鳴り声、反響しそうだな」
搬入が始まる。
「デスクは窓側で」
「PC周りはこっち」
「その箱は最後で」
社長の指示は的確で、無駄がない。
田口:「……仕事できる人の動線ですね」
相馬:「無駄な動きが一切ない」
最後の段ボールを運び終えたときだった。
田口:「あ、これ……」
相馬:「ん?」
一番小さな箱の底。
厚紙に包まれた、大きな写真立て。
相馬が慎重に持ち上げる。
社長:「あ、それ」
社長は一瞬だけ、声のトーンを落とした。
社長:「それは一番の宝物だから、絶対に壊さないでくれ」
田口:「……宝物?」
包みを少しだけずらすと、
そこには会社の全社員集合写真があった。
スーツ姿、私服、変顔。
年齢もバラバラ。
社長:「うちの会社の社員旅行の写真だ。俺の宝物だ」
田口と相馬は顔を見合わせる。
社長:「社員は俺の家族みたいなもんだ」
相馬:「……」
社長:「社長として、全員の生活を守らなきゃいけない」
田口:「……だから、あの言い方なんすか」
社長:「正直、優しく言ってる余裕はない」
社長:「業績落ちたら、真っ先に困るのは社員だからな」
少し照れたように、社長は笑った。
社長:「嫌われ役は、俺がやる。それが仕事だろ」
写真を、そっと棚の一番上に置く。
仕事後の帰り道
田口:「……さっきの妄想、全部撤回で」
相馬:「同意」
田口:「ただのパワハラ社長だと思ってました」
相馬:「俺も」
田口:「まさか社員写真が一番大事とは」
相馬:「ギャップ強すぎだろ」
帰りのエレベーター。
田口:「言い方って大事っすね」
相馬:「まあな」
田口:「でも、守りたいものがある人は、
たまに言葉が不器用になるんすね」
相馬:「不器用で済んでるうちは、まだ人間だ」
トラックに乗り込む。
田口:「次、誰来ても決めつけないようにします」
相馬:「どうせまた妄想するだろ」
田口:「しますけど」
相馬:「学習はしてるから良し」
二人は笑った。
人は、
怒鳴り声だけでは測れない。
たまに、
一番大事なものは、
一番最後の箱に入っている。


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